善光寺道というのは通称で、正式には北国脇往還という。一方、北国街道(中山道追分宿から越後高田宿まで)も北国脇往還というので、善光寺道はその西筋の道であるから北国西脇往還というのが正しい。なお、北国脇往還(北国街道)にはもう一つ別の道がある。それは屋代宿から分かれて雨宮宿、松代宿、川田宿、福島宿、長沼宿、神代宿を通り牟礼村平出地区で北国街道に再び合流する道で、この道も公認されていた。この道を北国街道と区別するために北国東脇往還と呼ぶ。北国街道の東を通るからである。善光寺道はこれにならって北国西脇往還である。
ところで、脇往還とは江戸時代の国道ともいうべき五街道から分かれる主要な道をいう場合に用いられる。たとえば伊勢路、北国街道などである。
五街道は東海道、中山道、奥州道中、日光道中、甲州道中で、これらは幕府の道中奉行の管轄下にあったが、脇往還は勘定奉行の所轄で、直接にはところの藩主が管理した。
(1)善光寺道の名前