青柳宿

東条川に沿って北に向かう。聖南中学校付近からは坂北村である。坂北村は明治八年に近郷七ヶ村が合併して成立した。このあたりは旧苅谷沢村である。
やがて数軒の少集落があって、右手山の方へ行く道があり、入口に鳥居と一対の常夜燈(安政戊午年|一八五八の建立)がある。苅谷沢神明宮の参道である。
苅谷沢神明宮 坂道を約一・五キロ上った山の麓にある。坂北村、本城村、麻績村など旧松本藩会田組一二ヶ村の惣社で、信州七神明宮の一つという。創建は中世このあたりを支配していた青柳氏によって勧請されたといわれているが、当社の由緒では「創立は不詳なれど口碑によれば往古白鳳二年十一月伊勢皇大神宮の分霊を勧請した」という。本殿は元禄三年(一六九O)の再建。境内には杉、檎、縦などの大木が社叢をつくっている。また、宝暦年間の坂城陣屋の代官でこの地方の中山道の宿場への助郷を免除した天野助次郎を杷る神社がある。
街道は県道と分れて神明宮入口へ入り、鳥居の手前で左へ折れて進む。すると間もなくまた県道に合流する。右側にJAのライスセンターがあり、左に火の見櫓がある。
道祖神 火の見櫓の下に二つ並んでいる。大きい方は文字碑で、小さい方は上半分が欠けている。二体の神像が浮き彫りされていたような跡がある。多分双体道祖神と思われる。
道標 その先で集落に入る。入口に右へ行く道があり、角に道標が立っている。高さ約五0センチの石住。

正面 県道西街道
側面 左神明富ニ至ル

昭和二年二月の建立である。そばに「麻績組苅谷沢小学校跡」の標柱がある。道標の後の空地が学校跡という。

そこから苅谷沢長畑の集落である。なお、刈の字は江戸時代は「苅」で、今は「刈」である。
集落の中央右手の民家の庭に一対の「法華経供養塔」が立っている。
集落のはずれで一時国道に出るが、すぐ右へそれてJR篠ノ井線を渡る。分岐点に自然歩道の道標があり、青柳宿まで一・六キロとしている。
線路を渡ると右手は山で、その裾を通る。

供養塔 右手の山がなくなるところに里道が分れて行く。その角にある。「甲子供養塔」と刻んであるが年号はないようである。横に馬頭観音もある。舟形石に観音立像が陽刻してあり、右肩に「享和元年」と年号がある。

そこから集落に入る。中村の長田である。道は狭くて旧街道の面影を残す通りである。
道標 少し進むと右側に坂北村役場と歴史民俗資料館がある。入口に石標がある。

県道西街道
郡道差切新道

としてある。白っぽい石で高さ約八0センチ。近くに坂北村の道路原標もある。
坂北村の一里塚 道標の向い側にかつて桑畑があり、そこに一里塚があった(『歴史の道調査報告書』)という。けれども今はそのことを知る人はほとんどいない。その場所は長田集会所、医院、民家などになっていて、塚は残っていない。標識もない。ただ役場前に小さな空地が残っているが、それが桑畑の一部で、そこに一里塚の標識が立っていたのではないかという見方がある。例の古絵図をみると、
(1)正保四年の信濃国絵図
中村と青柳本町の聞に一里塚の印があり、「此塚より青柳まで十町」と書いてある。
(2)元禄一五年の信濃国絵図
中村は街道から離れた位置に描いてあり、街道は苅谷沢村から直接青柳宿へ通じていて、青柳宿の直前に一里塚の印がある。
なお、寛文年代の絵図には一里塚の印はない。正保の絵図の「此塚より青柳まで十町」が手がかりになるが、青柳宿本陣、問屋までとしてみると、一O町(約一・O九キロ)はこの付近ということになる。
狛犬 役場前から一00メートルあまり行くと右へ分れる小道があり、その角にある。面白い形をしている。普通は一対であるが、これは一体だけである。神社にあるのはよく見かけるが、道角に立つのは珍しい。それに並んで道祖神(文字)と庚申供養塔(文字)がある。
青柳氏居館跡 役場付近に、中世この地を支配した青柳氏の初期の居館があったといわれる。
地名に丁目、丁目屋敷、番匠田、鍛冶田、土居づめなどの名が残る。丁目屋敷は青柳氏の庁があったところではないかといわれる。
積水寺 少し行くと坂北小学校がある。その手前の道を入り、山裾を目指して約一キロ上って行くと噴水寺がある。曹洞宗美濃龍泰寺末、青柳氏の菩提寺。本尊は木造阿弥陀如来坐像。鎌倉時代の作で県宝(重要美術品)像内に寛元二年(一二四四)の造立であること、その後二回修理したことなどの墨書銘があるという。
天文五年(一五三六)青柳頼長の中興開基。現本堂は文政三年(一八二O)の再建。裏山の墓地には青柳近江守清長、青柳伊勢守頼長、藤九郎長油の墓といわれる五輪塔がある。
腰神様 坂北小学校の前、街道左側に頭の尖った自然石があり、腰に白い布を巻きつけてある。これが腰神様だという。高さ約八0センチ。この神様を拝めば腰の痛みがとれるという。この石は立石ともいわれ、付近の地名も立石という。
なお、『坂北村の石造文化財」所載の図によると、東山道の支道は乱橋からこの腰神様の付近を通って麻積駅に通じていたと推定している。そうすれば、あるいは腰神様は越の神様なのかもしれない。

腰神様はごく小さな峠の頂上にあり、そこから下り坂である。右に坂北村社会体育館を見て進む。

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