JR今井駅へ行く四つ角の少し先左側に北原の大仏殿がある。『善光寺道名所図会』に「北原村に大仏の阿弥陀堂あり、接待所なり」とある。そのすぐ先右側に大きな貞婦せんの碑がある。
せんはこの村の百姓字兵衛の妻だった。その美しさに引かれた旅の僧が言い寄ったが、堅く拒んだので殺されてしまった。明治政府は大金を下賜して貞婦せんを表彰した。これはその碑である。
しばらく旧街道らしい道を進む。やがてやや広い用水路を横切る。その手前、右へ分かれる細い道の角に道標がある。「本村ヲ経テ東福寺村、松代町二至ル」となっている。
間もなく国道一九号線と交差するが、その下をくぐって進む。少しして右側に枝ぶりのいい一本松がある。その反対側には道祖神(文字)がある。
やがて「橋場」という信号があり、街道は北東に振れる。その少し先左側に「親鷲聖人御奮跡」の石碑が立っている。その下に昭和二四年と銘を入れる新しい「道祖神」(文字)がある。ここは浄土真宗唯念寺の参道入口である。
その次に左へ分かれる道は川中島駅方面へ行く。やがて左手に浄生庵がある。さらに進むと突き当たりになり、直角に右へ曲がる。
そこから丹波島宿である。その角左手は於佐加神社である。宿場中央左側に黒い冠木門のある旧家が脇本陣・問屋の柳島家で、門前に「明治天皇御膳水」の碑が立っている。脇本陣から数軒目の左側、瓦屋根の門がある家が本陣柳島家である。門前に「明治天皇御小休所」の石柱が立つ。丹波島宿の東端も鈎の手に左に曲がる(今は四つ角になっている)。
丹波島宿を出ると犀川の堤防に出て下流へ進む。昔丹波島宿を抜けたあたりに一里塚があったが、その詳しい位置は不明である。すぐ丹波島橋である。昔も橋近くに渡しがあった。綱を伝って進む渡し船であったから十辺舎一九は、
はや川を 舟でむかうへ渡辺の 綱ひとすじをたよりなりけり
と詠んだ。
丹波島橋の北詰に一対の常夜燈がある。そこを右へ入る細い道が北国街道である。そこからはほぼまっすぐ善光寺へ向かう。一茶はここで、まっすぐにかすみたもうやと詠んでいる。
左へ行く広い道は旧国道一八号線で、県庁方面に行く。このあたりは市村で、丹波島の渡しは市村の渡しとも呼ばれていた。