仁王門 参道の先に仁王門がある。大正七年の再建。
仁王様は向かって左が阿形像で、右側が畔形像。普通は左が昨形像で、右が阿形像のところが多いがここは逆である。
仁王門をくぐると常夜燈がある。慶応二年の建立。左側の常夜燈のそばに裾花峡の道標がある。そこは十字路で、その先は仲見世通りになる。両側にみやげ物店が並んでいる。
延命地蔵尊 仲見世通りの中央左側。この場所は善光寺本堂が宝永四年に現在地に移されるまであったところである。
釈迦堂 延命地蔵尊の前を東へ入ったところにある。世尊院という。釈迦浬繋像(国重文)を安置する。江戸時代出開帳には前立本尊とともに運ばれていったという。
駒返り橋 仲見世通りから善光寺境内にはいるところにある。橋の一番左側の石に穴が開いている。源頼朝の馬の蹄がこの橋の穴に入ってしまい、動けなくなったという伝説がある。
大観進 境内左側。御開帳の時善光寺本堂に安置される前立本尊(国重文)は、普段この寺に安置されている。善光寺を代表する寺の一円J、天台宗。明治天皇が北陸巡行の時この寺が行在所になった。(明治一一年九月八日と九日)
山門 山門は国重文。寛延=一年(一七五O)の建築、楼円形式で横三0メートル、奥行き二二メートル、高さ二0メートルの檎皮葺。
善光寺本堂 国宝。現本堂は宝永四年(一七O七)の完成。
横二三・七メートル、奥行き五二・八メートル、高さ二七メートル余。木造建築では東大寺大仏殿に次ぐ大きさである。撞木造りで仏殿を横棟に、礼拝殿を縦棟にして二つ合わせた様式になっている。屋根は槍皮葺。
善光寺の本尊 秘仏で拝んだ者は誰もいない。しかし、こんな話がある。
元禄五年(一六九二)一二月一O日、柳沢吉保の意向を受けた上野東叡山法親王の命令で現竜院敬語という僧が調べたという。本尊如来は六貫三OO匁(二三・六キログラム)、脇侍は各八七O匁(約三・三キログラム)であったという。なお、御丈は本尊如来一尺五寸、脇侍各一尺といわれている。
無宗派と女性の信仰 善光寺はどの宗派にも属さない。女性の信仰を集めていることと合わせて、この二つが善光寺の特色である。
経蔵 宝暦九年(一七五九)の建築。四角い建物で一辺一一・七メートル、高さ一七メートル、檎皮葺、宝塔形造り。国重文。
鐘楼と銅鐘 鐘楼は嘉永六年(一八五三)の再建、檎皮葺。銅鐘は銘に「一紙半銭の助成」を得て寛文七年(一六六七)に完成したとある。
善光寺の創建善光寺がいつ創建されたかはわからない。善光寺についての奈良、平安時代の確実な記録がないからである。善光寺の成り立ちをまとめた「善光寺縁起」によると、皇極天皇三年(六四四)とされている。しかし、境内から出土した五の特徴などからは、飛鳥時代(七世紀後半)と推定されている。
善光寺