善光寺道を歩いてみると、それが信仰の道であることがよくわかる。道端には石仏が多い。
人や荷物を乗せて共に苦労した馬のために馬頭観音が杷られ、西国三三番、坂東三三番、秩父三四番の札所を全部巡った巡拝供養塔、それに四国八八ヶ所霊場までを加え一八八ヶ所巡拝供養塔もある。また、村の出入口には道祖神を杷り、道の角には庚申塔や二三夜塔を建てた。
分かれ道には道標がある。北へ向かう旅人には「ぜんこうじ道」と、南へ行く人には「京、いせ道」と教えている。このような民衆の篤い信仰の源にあるのは一体何だったのであろうか。江戸時代というととかく貧しく、抑圧された堅苦しい生活、停滞した暗い世相をイメージしがちであるが、これらの石仏を見ていると、旅が盛んで思いのほか自由な暮らしで、信仰に支えられた豊な心の世界を持つ、幸せな社会を思うのは私一人だろうか。
さて、このレポートは一人の旅人として旧街道をめぐった記録であるが、通り一遍の通過者にはその地の本当の姿を見つけるのは難しい。その上見間違い、聞き違いが多いのではないかと心配している。にもかかわらず、あえて本にしたのは善光寺道を歩いた記録が他にはないからである。
この本がこれから歩く人の参考になれば幸いである。あなたも歩いて善光寺参りをしてみませんか。きっと伺かが発見できるでしょう。
なお、前記の本を参考にさせていただきました。記してお礼を申し上げます。
あとがき